纏め

ハハオヤは長女を滅多打ちにぶん殴って心理的に追い詰めて

小学校上がる前にノイローゼにした。

家族の誰も知らないから

兄弟達はノイローゼ時々反抗的な長女を悪者扱い。

ハハオヤはみーんな自分の味方してくれてウハウハ。

その後長女は完全に気が狂って障害者。

それを利用して困った娘を持つかわいそうなハハオヤとして福祉の世界に進出。

それだけじゃない。

溺愛の対象の息子を、ランク下の学校に行かせ、自由に飛べないように羽を毟り取った。

息子は結納まで済んでいたのに、ハハオヤは自分の病的独占欲で破談にした。

 

旦那を家族にさえ秘密にして施設に送り込む。

悪魔か?

 

家族の間じゃ、障害者にされた長女が悪魔扱いらしいが。

 

月曜日

月曜日は何かと、ハハオヤのワクワクが詰まってる日だった。

自分の虐待で子が障害者になったのに

障害者の子を持つ家族の会の役員になり

その団体の代表者と月曜日に良く会っていた。

そのワークショップYが二人の会合の場だった。

 

月曜日は遅くなるから、といつも言っていた

月曜日は団体は活動休みなはずだろ。

一度など、高校時代の友達のところに日月と一泊してくるなんて見え透いた嘘をついてまでデートしていた。

 

ある月曜、ハハオヤは仕事を早退して帰宅した。

シャワーを浴びて、着替えて出かけようとした。

私が家にいるとは思ってなかったから

私が「どうしたの?」って部屋から出て来て言ったら、びっくりしてた。

咄嗟に言ったのが「歯医者に行く」笑。

歯科治療なんてしてたっけ?と言うと

「治療ではない」だとさ!

治療じゃなく歯医者に行くのに、家に帰ってシャワー浴びて

着替えして出て行く。なんだよそれ。

そんなの誰が信じるんだよ。

ハハオヤはそれほど子供をバカにしていた。

子供は簡単に騙せると踏んでいた。

騙そうとしてると詰め寄ると、切れて訳のわからないことを喚いて

それで押し通した。自分で、自分の嘘はバレないと言う設定にしてた。

それで、言ったことを言ってないといい、言ってないことを言ったといい

私の反論を絶対に受け付けなかった。

 

私はハハオヤの行動を心底汚くいやらしいと思った。

自分で虐待しておいて、子供が気が狂ったらそれを利用して社会進出した。

「いきいきと」当たり前の知識も常識もなくて礼儀も知らないくせに役員として活動してた。

反発する私と違って絶対に自分に反発しないYを、「二人だけの会合」の相手のコネである団体に就職させた。

 

お前の面の皮の厚さは何メートルあるんだよ?

 

自分がどれだけかわいそうなハハオヤなのか、自分で虐待して病院に引っ張っていって向精神薬大量処方で子供の人生狂わせたのに

自分がどれだけ大変な思いをしてるか外でペラペラと言いふらして

虐待犯だと言うことは、自分の家族にさえバレないようにしてた。

 

お前、本当に人間なのか?

 

わかるか

わかるもんか

あんた達になんかわかるもんか!

私だって人様に一切迷惑をかけず

誰にも優しく、周りのことを考えて

生きて来たかった。

 

だけど、記憶が始まった頃、3歳の時には

虐待による極度の緊張状態にあり

その後もずっと虐待が続き、

ようやく自由に行動できそうになったら

ハハオヤにクリニックに引っ張られて行ってから始まった

向精神薬の大量の大量の大量の投与で

もう普通に生きていけなかった上に

お前ら家族の虐めが止まなかったどころか

エスカレートして行っただろう。

 

私と同じことを一つ残らず経験してみろ。

100分の一も経験せず、それどころか

ハハオヤの虐待に遭って来た私を一緒になって虐めてたくせに。

お前らに何が言える?何が言える?何が言える?

本当に巧妙だよな

気が狂うまで虐待してて

家族にはそのことが一切バレてない。

虐待したハハオヤに歯向かっていく被虐待児が

加害者に見えるようにしていた。

記憶が始まった頃には「オマエが悪い」と刷り込まれていたから

何があっても、自分が傷つけられても、自分が悪いと思い

自分からは何も訴えられなかった。

私は自動操縦ロボットだったよ。

家を飛び出して10年以上経ってから

YもTも、ハハオヤが私を虐待していたことを知らなかったと気が付いた。

 

こんな私にも少しは可能性があった。

それが面白くないハハオヤは

自分は楽譜も読めないのに、私に楽器の弾き方を指導しようとし

成績底辺だと自己申告していたほどなのに、学年上位の私に勉強の仕方を教えるのだと言って聞かなかった。

自分はいやらしい事を追求していたくせに

(自分の子供より10歳くらい年上の甥が遊びに来ていた時も

その従兄と一緒に歩いていた通りの真ん中で自分のスカートをわざと…。)

同級生から煙たがられるくらい真面目だった私のことをいやらしい汚らわしいと罵ったり。誰だってこんなことが続いたら正気じゃいられなくなるよ。

あの家族は正気を保ってた。ハハオヤのやった事を知らなかったし

私が気が変になった理由を探ろうともしなかった。

 

私はまだ若かったのに完全な鬱病になった。

ハハオヤの虐待のせいでオカシクなったのは明らかなのに

そのハハオヤが私をいろんな医療機関に引っ張っていっては、よよと泣き崩れて

ワタシはオカシクなった娘を抱えたすっごくかわいそうなお母さん〜、と無理矢理同情を集めようとする。あろうことか狂った子供を抱える可哀想な家族の会という福祉団体に入り込み、最後は役員にまでなった。

 

あのな、あんたが私を連れていった全ての医療機関の先生達が

「あのお母さんならあなたがそうなるのも無理はない」と極端な情緒不安と鬱に見舞われた私に言ったよ。全員、一言一句違わず、そう言った。

 

すごいのは、一目で虐待加害者とわかるハハオヤを

あんなに身近にいながらずっと擁護し続けて

完全に気が狂うほど虐待され切って一時は廃人みたいになってた私の方を攻撃しまくったあんた達の鬼畜ぶりだ。

さすが鬼畜の子は鬼畜だな。

そんな鬼畜の一人は、ずっと福祉畑で働いている。

家では認知症のお年寄りやしょうがいのある子のモノマネをして笑い飛ばしていたけど(そしてハハオヤは一緒になって笑っていた。そんな事いうもんじゃありません、と普通の母親なら叱るだろう?)

 

世間ではまともだと思われるのも信用されるのも妹の方で、私はいない方がいい人間なんだけどな。

 

ハハオヤの顔を見た途端娘息子が泣き出す

ハハオヤハ私が1歳になるかならないかのうちに

事務の仕事をしに働きに出ていた。

それで私は近所の家に預けられた。

大きくなってから偶然、そのおばさんに会った。

おばさんが言うには、いつも私を母親に引き渡す時

ギャン泣きしてたそうだ。

 

ハハオヤよ、私に何してた?

 

ギャン泣きは私だけじゃない。

私が7歳、Tが2歳の時、ハハオヤが自分の姉たちと1週間旅行に出かけた。

私たちは祖父母に預けられ、本当にスッキリした且つ穏やかな気持ちでのびのびと過ごしていた。

ハハオヤが旅行から帰り私たちのいた部屋に入って来た瞬間

Tが火がついたように泣き出した。

そしてまだ小さい体で、ハハオヤから逃げるようにちょこちょこと走り出した。

 

私は子供心に、いくら久し振りだからといって、まだ小さいからといって

顔を見た瞬間実の息子が泣いて逃げ出すなんてオカシイって思った。

 

先入観のない、まだ正常な感覚を失っていない乳幼児にぎゃん泣きされる実の母親って

どう考えても、天然の鬼畜だよな。

 

ちなみに私は、ハハオヤの連絡先をアドレス帳には「キチク」と登録していた。

今は削除したからキチクに関してはなんの情報もないよ。

私しか知らない、家族は誰も知らない

小姑総出でいじめていたおばさん宛の郵便物がウチに届くのでおかしいと思ってたら、ハハオヤがおばさんを保険にかけてた。

押入れから、ハハオヤが役員もやって「活躍」してたある福祉団体の代表名義の通帳が出てきた、覚えのない私名義のも出てきた。

障害者扱いした私を保険に入れてた。

 

鬼畜のようなハハオヤの小銭稼ぎであった。

 

こんなハハオヤの実態を知らないで擁護し、それに抵抗する私を徹底的に攻撃する家族。何も知らないで、私が虐待を受け続けてたことも、同じ家に住んでいながら知らないで、鬼畜と一緒になって虐めて楽しかったか?

鬼畜の手下ども。

 

まあもう家族じゃないよ。分籍届けを出したときは心の底から嬉しかった。

こんなに簡単に手続きできるって知ってたらもっと早く分籍し他のに。

 

ハハオヤは

ハハオヤは私に犯罪級の虐待を繰り返して来た。

私がいよいよオカシクなったら

病気ということにして今度はそれを利用して

福祉の世界に進出!

 

このまま死ぬなんて耐えられないと

私が立ち上がったら

それまで自分の虐待の事実を見事に隠蔽してきたハハオヤは

そこから家族も福祉活動のお仲間も味方につけて

私に反撃してきた。

 

ハハオヤに正面から向かっていっても無駄だと気がついて

福祉団体の人達にハハオヤの蛮行を伝えはじめた。ささやかな抵抗だった。

そしてハハオヤは初めて外部の人間から非難されて

役員までやって会議だなんだ大会だとかで随分遠方まで(海外にも2回)出かけていってた団体から抜けた。

 

アイツのことだからきちんと手続きしたり申し送りしたり挨拶してりせずに

ばっくれやめみたいなことしたんだろうな。

 

その時いってたことがふるってる。

「あんたがお母さんのことをみんなに知らせたからお母さん、ワークショップYに行けなくなったの」

やっと自分がどんなひどいことしてきたか分かったか、と言ったら

「違うの、みんながお母さんと考え方が違っただけなの」だとさ。

 

私はハハオヤを超える鉄面皮を私は未だに見たことがない。

アルバムによその子の写真

小学生か中学生の頃にハハオヤにきいた。

「どうしてうちのアルバムによその赤ちゃんの写真があるの」って。

それは私だった。

 

その写真の赤ちゃんは底から明るくて屈託なくて安心してそこにいるような表情だったから、自分じゃないと思ってた。

 

その時はまだ、虐待始まってなかったんだね。

本気で私じゃないと思ってたよ。

 

私家を飛び出して家族に居場所を知らせていない時期があった。

飛び出した後最初に会った家族は、私たちにとても優しい父だった。

妹やハハオヤは、本人の目の前で侮蔑的な言葉で詰ってたけど。

 

それで父は私の行方不明期間に、私の子供時代の写真を一枚

ノートに挟んで持っていた。

多分10歳頃の写真。

死にそうな顔してた。その頃すでにそんなに苦しかったんだ。よく頑張ったな。

なんでもせせら嗤われた

私には大切な大切な大切な動物の伴侶がいた。

その子の幸せと快適な生活を維持できたのに

私はわざわざ無駄な転居をしていた。

最初にその子と暮らしていた所では

彼女には仲のいいお友達が出来た。

それでその子達と遊ぶのを非常に楽しみにしていた。

私にとっても素晴らしい住環境だった。

 

それを私は自らぶち壊しにした。

思い出すだけで苦しくなる。

 

私はそういう破壊的なことをいっぱいしてきた。

 

誰一人傷つけず、すべての人に優しく生きてこられたはずなのに。

許してほしい。虐待と向精神薬でぐちゃぐちゃになってしまっていた

自覚もできなかったんだ。

 

やっと気付いたのはつい最近、この2、3年のことだ。

 

あの時こうしていれば、あのままあの場所に留まっていれば。

私もその子もものすごく幸せでいられたのに。

もう、頭がおかしかったとしか言えない。

 

あれ以上の幸せは無かったのに。

毎日、ごめんね、と言って暮らしている。

 

自分が自分のものではなかった。でもそれを自分で軌道修正することもできなかった。苦しかったけど、変えられなかった。

そんな私を、はっきりときちがいと呼んだ家族。何も知らないくせに。

 

まだ若かった頃、雨の日にまだ目の開いていない赤ちゃんのネコを拾ったんだ。

どうしてそんな所にいたのかわからない、放っておけなくて

うちに連れて帰ってきたけど、悲しいことにすぐに亡くなってしまった。

 

妹は私の真剣な態度をいつもばかにしたような態度で茶化した。

そして、こんな悲しみでしかない出来事に対してさえ、

何かひどく冷たい冗談で茶化した。

まさか、流石に、動物の死に対してはそれはしないだろうと思っていたのに。

 

そんな家族の中で、私は頑張っていたんだ。家族はハハオヤの策略を疑いもせず

ハハオヤの唆しに乗って私を虐めたけど。

 

私は頑張ったんだ。つらいけど自分にはコントロール出来なかった。

器質的障害を負っていたんだ、つらいけど、仕方ない。本当にごめんね。

 

私は頑張った。ハハオヤは自分の虐待に関してはしらばっくれ、家族は向精神薬でオカシクなっていた私を攻撃したけど。

ある時私の家庭での経験のほんの断片を人に話したら

「普通なら自ら命を絶っているか廃人になっているかだ」

と言われた。

当の家族は、自分の家庭がそんなふうだとはちっとも思ってないだろうけど。

だってハハオヤは自分で、素晴らしい家だと言っちまってるくらいだからね。

 

 

 

 

 

 

自分で自分の幸せをぶち壊しにする

自分の極端な情緒不安定は、偏にハハオヤの虐待によるものだと思ってたけど

若い頃から10年も続いた向精神薬の大量処方が脳にダメージを与えていたんだと

最近になって知った。

 

私がハハオヤに連れていたれたクリニックで始まった服用、直後から自分の娘の体調、精神状態の異常に、クスリのせいだと気付いてやめさせるようなハハオヤじゃない。

子供がオカシクなった方が、同情を集められるし、そもそもそれを変調だとも気づかなかったのかも、あのハハオヤなら。

 

若い頃、なんとかあの狂った家から脱出して頑張った。私は本当に頑張った。

そして幼い頃憧れていた職業に就けるチャンスがこんなどうしようもない私にもあった。今思うと信じられないチャンスだったのに、自分からぐちゃぐちゃにしてしまった。

 

自分の人生なのに、自分でぐちゃぐちゃにするなんて狂ってる。でもそういう風にしか行動できなかった。神経損傷してたなら、仕方ない。

 

苦しい、悔しい。

 

当のハハオヤは「こんなに一生懸命なお母さんは他にはいない」と言い放った。

 

聞いてて恥ずかしい。妹や弟はこんな残酷な人間の肩を持った。何も知らないくせに。

私の生き地獄のことなんかちっとも知らないくせに。

 

ハハオヤに「ある福祉施設でボランティアをしてみなさい」と唆された。

そして自分で言っておいて「あれはやっぱり出来ないの」と言った。

既に投薬が始まっていて狂っていた私は、その場で泣き出した。

そしたら弟が、「いい子ぶるんじゃねえよ」と言って私の顔面めがけてお茶碗を投げつけた。

 

私はそんな家庭で頑張って頑張って頑張った。

洗面所での思い出

中学生にもなって、ハハオヤが毎朝私の引っ詰め髪をグイグイ引っ張ってまとめていた。なんでも支配しないと気が済まないハハオヤ。いつも痛かった。

自分でやっておいて、或る日突然、

あんた達はなんでもお母さんにやらせる、とヒステリーを起こす。

自分でやりたいなんていったら、

「お母さんにやってもらうのが嫌だっていうの!」って怒り出すから

ハハオヤには何一つ意見も提案もしなかった。

「痛いよ」の一言も言えなかった。

理由は「お母さんにやってもらうのが嫌だっていうの!」って怒り出すから。

そして一度ハハオヤの機嫌を損ねるとそのとばっちりをYやTも食うから。

 

ハハオヤから私への身体的暴力がぱたっと止んだのが中二の時だった。

顔面を引っ叩かれて、右の耳だけ切り取ったみたいに真紫色になった時、自分では痛みさえ感じていなかったけど耳の色を見て「ああ、強く打たれたんだな」と後で思った。それで朝になって鏡の前に立たされて髪をぐいぐいブラシで引っ張られてる時に、ハハオヤが「アレッ」て言った。私の耳の変色に、自分でやったことのエゲツなさに気づいたんだろうか。良心の呵責が無いハハオヤだったけど、流石にまずい、って思ったんだろうか、この頃からぱったりと私への暴力は止んだ。

 

それともう一つ洗面所での光景で忘れられないことがある。その時私達3人がそこにいたんだけど、出し抜けに

「どうしてお母さん、あんた達の世話をするかわかる?お母さんが年を取った時にあんた達にお母さんの世話をしてほしいからなの」って。

ハハオヤってそういう交換条件で子を育ててるものなのか?違うだろう。

本当に呆れた親だよ。弟や妹はこういう親の言動は一切憶えていないだろう。憶えてたら、ハハオヤに立ち向かう私を悪者認定して寄ってたかって虐めたりしなかっただろう。

 

こういう育て方の甲斐あって、今誰一人ハハオヤに寄り付かない。

気遣いも知らない

私達きょうだいは小さい頃はお互いちゃん付けで呼び合っていた。

仲良く優しく遊んでたんだ。

でもハハオヤが引越しを境に、私達にそれまで以上に厳しく接するようになって

私達の心も荒んできて、「呼び捨て」に変わったんだ。

近所のイジワル一家のM子はニコニコしながら

「あなたたち呼び捨てにし合うの、初めて聞いた」と言っていた。

よその子が荒んで行くのを見るのが、彼女は嬉しかったのか。

 

ハハオヤの毒さえなければ、私達は仲良く優しく穏やかに過ごせたのに。悔しい。

 

優しさ、思いやり、そういうもともと私達に感覚的に備わってたものがハハオヤに破壊された。

 

私が5歳くらいの頃

「おいしんだから食べなさい」

と強要されたものを一口食べただけで反射的に吐き出してしまった時

反射的にハハオヤが私のほっぺたを引っ叩いた。

 

私が小さい頃からギクシャクした人間関係しか結べなかったのは

当たり前の思いやりや言葉を知らなかったからだと振り返って思う。

施設に入れてほしい

小学生の時虐待が激しいので、思い余って

「私を施設に入れてほしい」とハハオヤに言ったら

なんて言ったか?

 

「そしたら、どうして私を施設に入れたんだって後からいうくせに」

 

言うわけ無いだろ。どんな施設でもハハオヤがいないだけ天国だ。

 

自分からハハオヤに対して要望を言ってはいけないと言う圧力があったのに

そんな言葉が出たというのは、その時の私は余程ハハオヤの暴力暴言に耐え兼ねていたんだろう。

だけど、子供にここまで言わせる母親ってなんだ?って

ハハオヤは我が身を振り返って考えられなかったのか?

 

一回り上の従姉が、ウチのハハオヤにただ単に「子供が3人いる」ことに対して「憧れている」とまだ母が30歳頃に言ってしまったらしい。

いくら他人からそう言われたって、実態をいちばんわかってるのは自分だろう。

家事ができないのも、まだ幼い子供を殴ってノイローゼに追い込んでるのも、自分で自分が見てるだろう。たとえそんな事言われたって、恥ずかしくて公言しないものだ。

だけどハハオヤは、私が非難するごとに

「お母さんは、まこちゃんに憧れてるって言われたの」

と言い張った。

よくそんなこと言えるよな。人から言われたことと自分の実態は違うというところまで頭が回らなかったんだろうか。

実の子供から「施設に入れてほしい」と訴えられることより

家庭の内実を知らない親戚の言葉を採用するなんてどういう知能なんだ。

 

 

人のせいにして子供の進路さえ変える

弟が進学先を決める時期に、あれ?っと思うことがあった。

ハハオヤが担任の先生の面談から帰ってきて

出し抜けに私に

「担任の先生は工業高校に進学するように言ったんだけど

おじちゃん(ハハオヤの兄)が

男の子は共学に進むべき、男の子にとって男子校は良くないと言われたから

農業高校に進むようにしてきた」

となぜか私に話し出した。

 

これから後ろめたいことをするとき

アリバイを作っておきたい時、

目が泳ごうがどれだけ理屈を超えていようが、子供ならいくらでも騙せると踏んで

見え透いた言い訳と嘘を平気で吐いていたハハオヤ。

 

「おじちゃんのアドバイス」に従うにしたって

進学するのはあんたや叔父じゃないし、進路は一生付いて回るものなのに

ハハオヤは息子が、「進学先のランクを下げさせてまで」息子が自分の手の届かないところに行くのを阻止したんだと思う。

そんな親いるわけ無いだろう、でもハハオヤは違う。

 

その後弟は、親戚の時々問題行動を起こしていた男に親戚が大勢いる前で、でっかい声で

「おい、お前〜百姓高校に入ったのかよ」

と非常に侮蔑的に言われて、私はその男が心底憎らしかった、悔しかった。

そこに入学させたのはハハオヤなんだよ!

ハハオヤは、自分の子どもが侮辱されようが就職で不利になろうが

そんなことどうでもいい、

羽むしり取って巣立っていかないようにして

子供が自立しないことの方が大事なんだ。

 

因みに、人生を左右するアドバイスをくれたその叔父は

弟の高校受験時の何年も前にとっくに亡くなってた。

 

私も使われた、当の私の目の前で、私が言ってもいないのに(第一話もしてないだろ)

「あんたがこう言ったからお母さんはこうした」とヌケヌケと言うハハオヤだった。

 

因みに自分が家事が苦手なのは自分の姉のせいで、友達がいないのは私たち家族のせいらしい。いい加減にしろ。全部バレてんだよ!

 

死のうとした時

12歳の時、ハハオヤの虐待に耐えきれず精神的な苦しさも極限に来て、台所からナイフを持って来て手首を切ろうとしたら、セーターの下に隠し持っていたのをポロッと落として、それを見たハハオヤに

私が他の誰かを傷つけようとしたことに決めつけられ、なんてオソロシイ子なんだと言われて終わった。私は反論を一切許されなかったから違うんです違うんですそうじゃないんです!とも言えなかった。

死にたいほどツライ子供とナイフで家族を傷つけようとする子のギャップってすごくないか?人生ごく初期から虐待受けて死ぬほどツラくて12歳の若さで誰かに話を聞いてもらわなきゃいけない子が、人にナイフを向けようとした危険な子にされるってどれだけのつらさか?

私を敵視した妹や弟には分かるまい。

ハハオヤはいつでも妹でも弟でもなく私が悪者になるのにエネルギーを費やしたから、誰も私の悪を疑わなくなったんだろう。

 

20代になり、大量処方で問題のあった医者から出されていた薬で短期間に2回自殺を図ったが2度とも病院に運ばれた。

最初の病院では、父親が付き添ってくれていた。

目が覚めた時舌を噛まないようになのか口に挟まれていたアイスキャンディー大の物を「出してはだめ」と言われていた父親は、それが私が起きたと同時に浮き上がって来たので力尽くで喉の奥まで押し込めようとし、窒息するかと思った。押し込まれているためやめてくれと声を出すこともできなかった。本当に死ぬかと思った。

出しちゃダメだと言われたからって喉の奥まで押し込むなんて幼児かよ。

 

2回目。病院から帰って来た時、妹が一言「あんなことやっちゃダメだよ」。

 

もし自殺に失敗して脳に障害が残り体の自由が利かなくなったら、この家にいてちゃんと世話してもらえるなんてありえない。丸太みたいに扱われ憤死したくなる。

そう思ったので自殺はそれっきりにした。

 

苦しいのは子供の時からだったけど、20代の自殺は薬害のせいだと今は分かる。