別人としての人生を強要されると生きにくい

マーサベックの本に、事故で鼻を怪我して、手術で耳の軟骨を移植した男性の話が出てきます。手術は成功したけど、鼻に移植された軟骨が耳の形状に変わって行く、というちょっと気持ち悪い話です。

 

私たちは程度の差こそあれ、鼻に成ることを強制された耳ではないでしょうか。

まだ十分遊びきってない就学前の年から、受験マニアの親に塾に通わされたり

ほんとは芸術家になりたかったのにスポーツの英才教育を受けたり

ほんとはクラリネット奏者になりたかったのにピアニストになるよう仕向けられたりしたら、何かが違うと思いながら歪に生きて行くことになりますよね。

 

生き延びるために、親に虐められないために、学校でバカにされないために、

うまく鋳型に収まっても、鋳型は自分じゃないから

そのうちどんどん苦しくなっていきますよね。

 

文化の縛りもきつくて、それが自分に合わないとわかっても、

後戻りできないほど、自力で抜け出せないほど調教が行き届いてたら

牢獄のような人生を送ることになって

抜け出し方がわからないと、自由な他人を攻撃したくなりますよね。

 

怖いです。