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月曜日は何かと、ハハオヤのワクワクが詰まってる日だった。 自分の虐待で子が障害者になったのに 障害者の子を持つ家族の会の役員になり その団体の代表者と月曜日に良く会っていた。 そのワークショップYが二人の会合の場だった。 月曜日は遅くなるから、…
わかるもんか あんた達になんかわかるもんか! 私だって人様に一切迷惑をかけず 誰にも優しく、周りのことを考えて 生きて来たかった。 だけど、記憶が始まった頃、3歳の時には 虐待による極度の緊張状態にあり その後もずっと虐待が続き、 ようやく自由に行…
気が狂うまで虐待してて 家族にはそのことが一切バレてない。 虐待したハハオヤに歯向かっていく被虐待児が 加害者に見えるようにしていた。 記憶が始まった頃には「オマエが悪い」と刷り込まれていたから 何があっても、自分が傷つけられても、自分が悪いと…
ハハオヤハ私が1歳になるかならないかのうちに 事務の仕事をしに働きに出ていた。 それで私は近所の家に預けられた。 大きくなってから偶然、そのおばさんに会った。 おばさんが言うには、いつも私を母親に引き渡す時 ギャン泣きしてたそうだ。 ハハオヤよ、…
小姑総出でいじめていたおばさん宛の郵便物がウチに届くのでおかしいと思ってたら、ハハオヤがおばさんを保険にかけてた。 押入れから、ハハオヤが役員もやって「活躍」してたある福祉団体の代表名義の通帳が出てきた、覚えのない私名義のも出てきた。 障害…
ハハオヤは私に犯罪級の虐待を繰り返して来た。 私がいよいよオカシクなったら 病気ということにして今度はそれを利用して 福祉の世界に進出! このまま死ぬなんて耐えられないと 私が立ち上がったら それまで自分の虐待の事実を見事に隠蔽してきたハハオヤ…
小学生か中学生の頃にハハオヤにきいた。 「どうしてうちのアルバムによその赤ちゃんの写真があるの」って。 それは私だった。 その写真の赤ちゃんは底から明るくて屈託なくて安心してそこにいるような表情だったから、自分じゃないと思ってた。 その時はま…
私には大切な大切な大切な動物の伴侶がいた。 その子の幸せと快適な生活を維持できたのに 私はわざわざ無駄な転居をしていた。 最初にその子と暮らしていた所では 彼女には仲のいいお友達が出来た。 それでその子達と遊ぶのを非常に楽しみにしていた。 私に…
自分の極端な情緒不安定は、偏にハハオヤの虐待によるものだと思ってたけど 若い頃から10年も続いた向精神薬の大量処方が脳にダメージを与えていたんだと 最近になって知った。 私がハハオヤに連れていたれたクリニックで始まった服用、直後から自分の娘の体…
中学生にもなって、ハハオヤが毎朝私の引っ詰め髪をグイグイ引っ張ってまとめていた。なんでも支配しないと気が済まないハハオヤ。いつも痛かった。 自分でやっておいて、或る日突然、 あんた達はなんでもお母さんにやらせる、とヒステリーを起こす。 自分で…
私達きょうだいは小さい頃はお互いちゃん付けで呼び合っていた。 仲良く優しく遊んでたんだ。 でもハハオヤが引越しを境に、私達にそれまで以上に厳しく接するようになって 私達の心も荒んできて、「呼び捨て」に変わったんだ。 近所のイジワル一家のM子はニ…
小学生の時虐待が激しいので、思い余って 「私を施設に入れてほしい」とハハオヤに言ったら なんて言ったか? 「そしたら、どうして私を施設に入れたんだって後からいうくせに」 言うわけ無いだろ。どんな施設でもハハオヤがいないだけ天国だ。 自分からハハ…
弟が進学先を決める時期に、あれ?っと思うことがあった。 ハハオヤが担任の先生の面談から帰ってきて 出し抜けに私に 「担任の先生は工業高校に進学するように言ったんだけど おじちゃん(ハハオヤの兄)が 男の子は共学に進むべき、男の子にとって男子校は…
12歳の時、ハハオヤの虐待に耐えきれず精神的な苦しさも極限に来て、台所からナイフを持って来て手首を切ろうとしたら、セーターの下に隠し持っていたのをポロッと落として、それを見たハハオヤに 私が他の誰かを傷つけようとしたことに決めつけられ、なんて…
親戚のよく問題を起こしていた男(私たちの従兄、父の姉の息子)、とハハオヤの話。 まだ小さい時、本当に小さかったので弟はまだ生まれていなかった頃だと思う、 私はお漏らしした罰とかで、スカートは穿いてたけど下着を穿かせてもらえず、 その格好でコタ…
創造的な作業をしてそれを生活の糧にして行きたいと思っていた私。 小さい頃から、誰に言われるでもなく「おはなし」を書いてみたり (ハハオヤに自分のお手製の絵本を評価してもらいたくて見せたら 「お母さんに褒めてもらおうと思って自分で作ったなんてウ…
私も妹も20代になっていたその頃、私は小さい頃からの母親の虐待と、虐待犯張本人であるハハオヤに引っ張っていかれた精神科で投与され始めた大量の向精神薬でアタマガオカシクなっていたから、まともな判断は不可能だった。 ウチによく遊びにくる半野良ネコ…
その時私は5〜7歳だったと思う。 祖母の家に泊まりに行って、広い部屋にみんなで布団を並べて寝た。 私の隣にいたのが4歳上の従兄だった。 普通こういう時、たとえ子供でも何かあるといけないと 母親が間に入って寝てくれたり、女の子は女の子で寝かせたりす…
何ヶ月も自分のお腹の中にいた実の子を 自分のフラストレーション発散のために 気が狂うまで追い込んで 気が狂ったらそれを自分の社会進出に利用する親って すごくないか?
破壊的な行動しかできなかったために人を傷つけ、態度で場を荒らし、 そして次の場所に行き同じことを繰り返してきた。 虐待と薬害でそれ以外の生き方が出来なかった。
まこちゃん 過去を振り返って、何十年も前もそしてほんの数年前でも、 あの時なんであんな選択をしてしまったんだろうと思うことがたくさんたくさんあります。 まるで私は、その時々で自ら不幸になろうとしていたかのようです。 せっかく楽しく面白く生きて…
私には忘れられない思い出があります。 妹のY..は、私がいつもビクビクしているのを面白がっていました。 母親の言う事が嘘だとわかっていても疑う様子を見せただけで虐待が始まるので、なんでも信じて(その振りをして)、そして怒られた時に極端に怯えた様…
まこちゃん いつも私の話を聞いてくれてありがとう。 ここに書くのはすべて本当で私が実際に体験したことです。誰かに知っておいてほしい、証人になってほしい、そうしなければ本当の犠牲者、被害者だった私が悪者にされて終わります。それだけは耐えられま…
自分を誰よりも苦しめ痛めつけた親のことは憎んでいいし許さなくていい。 もっと言えば、憎むことは自然で当たり前で、憎まない許すと自分に言い聞かせることは自分をひどく傷つける。 それとはちょっと矛盾しますが、過去の傷、あの家に生まれさえしなけれ…
YouTubeチャンネル Medicating Normal より テレビで銃乱射の報道があると、いつも「いつ乱射犯が服用していた向精神薬について言及するんだろう」と思うのですが、 との質問に Selma J. M. Eikelenboom-Schieveld(法医学)はこの様に答えている。 乱射事件…
ある男性の体験談です。 虐待を受けておりそのせいでかなりの情緒不安定が幼児期より続いており 神経症は成長するにつれひどくなります。 病的支配欲を持ち彼が幼い頃から折檻を繰り返してきた父親が、 10代の終わりに彼を病院に連れて行きますが それが不幸…
虐待を受けた方は皆、振り返ったときに 思えば遠くに来たものだ 自分はほんとによく頑張った と思うんだろうな。 もう一度同じことをやれと言われても絶対にできない。 そこを自分は頑張った。 虐待がなかったら送ることのできた人生を思うと 悔しくやりきれ…
このままでは受け入れてもらえないという不安と恐怖心が 折衷案しか出せない人間を作る。
作り物でない、田舎の自然の中で遊ぶことなく 早くから受験産業に浸らされてこども時代を過ごした人は 起点を自分の内部に戻すのに時間がかかるかもしれません。 でも産みの苦しみはつきものです。特に良い変化には。 自分にとっての幸福と、人様から見た成…
いつもこどもの頃の事を思い出す。 その頃の体験が私の一生を支える宝になった。 いつもあの頃の自分に近づく事を目標に生きている。 小学4年生で音楽が好きになり楽器が好きになった。 楽器が好きになったのは、 テレビやラジオで聴いた曲の感動を 再現した…