そんな家庭でも健気に頑張っていたが

創造的な作業をしてそれを生活の糧にして行きたいと思っていた私。

小さい頃から、誰に言われるでもなく「おはなし」を書いてみたり

(ハハオヤに自分のお手製の絵本を評価してもらいたくて見せたら

「お母さんに褒めてもらおうと思って自分で作ったなんてウソを吐く!」と怒られ

小学校に上がる前に絵本を作るのはやめた)

絵を描く楽器を弾く、そういう作業に気持ちの高揚と最高の幸せを感じていた私。

進学校にも上位の成績で合格した私。

虐待家庭にいたにも関わらず、ほんとうに頑張っていた。

高校に入学してから鬱状態になり勉強に集中することも考えをまとめることもできなくなっていた。だから3年間、勉強した記憶が殆ど無い。

 

虐待と向精神薬の背景も、同じ家族であるにも関わらず気づかない妹。気付かないとしても、その為に変調を来した実の姉を、替え歌でバカにするか?

母親の片棒を担ぎ私をバカにしまくった妹、成績も私からみればパッとしなかったのに

大学を卒業し若い頃は海外旅行に毎年のように出かけていた。職場のいつも一緒に行動する友人を家ではぎょっとするほど侮蔑的な言葉でバカにする妹。実習先や職場で接したしょうがい者やお年寄りのモノマネをして笑い倒す妹。私はこれって笑わないといけないのかな?と聞いていた。ハハオヤは一緒に笑っていた。

こんな妹がハハオヤに大事にされていた。帰省しているはずなのに朝から姿が見えないと思ったら、夜デパートの袋をいっぱい抱えて帰ってくる(彼女たちは池袋がお気に入り)、夜中に仲良く、家のすぐそばを通った屋台のラーメンを、自宅から丼を持って行って買い家で一緒に食べたと妹が言った時「えっ?お母さん、そんなことする人なんだ」とビックリした。私のハハオヤと妹の母親は別人なんだ。

 

私の芸術の道? とんでも無い。私は妹が大学に入学した頃には、ハハオヤに引っ張られて精神科で向精神薬をのまされて家の中でまっすぐ歩けないほどデロンデロンになってたんだ。芸術どころじゃなくなったんだよ。

一時は私を廃人にした家庭。私はこんな家庭を、懐かしいとか恋しいとか、帰りたいとか思った事はただの一度も無い。小さい頃から。

 

あの向精神薬処方さえなければ、なんとか乗り切って進学し希望に近い仕事に就き、今頃安定した生活を送っていたかもしれない。あの処方からが生き地獄だった。私はそんな家族から奇跡的に脱出し、命を断つ事なく頑張ってきた。