幼い頃
その時私は5〜7歳だったと思う。
祖母の家に泊まりに行って、広い部屋にみんなで布団を並べて寝た。
私の隣にいたのが4歳上の従兄だった。
普通こういう時、たとえ子供でも何かあるといけないと
母親が間に入って寝てくれたり、女の子は女の子で寝かせたりするだろう。
うちのハハオヤは違う。
誘惑的な(私に取っては迷惑な)雰囲気に子供を放り込むのが好きで
別の年の近い従兄と二人きりで出かけさせようとしたり
もう嫌がって一緒に入らなくなって久しかったのに、「今日はお父さんと一緒にお風呂に入ってもらう」と命令したりする
全く子供を使って何をしたいのか、狂っているとしか思えない母親だった。
一方で子供が恋愛やファッションに主体性を見せるといやらしい汚らわしいとはっきりと言葉に出して貶した。
夜中に目が覚めた、従兄が私の局部を触っていたのだ。
小さい声で話しかけて、私の局部は何かがおかしい、
なので・・・しなければいけない、と言っていた。内容はもう思い出せない。
これは大変なことなのに、そしてまだ小さかったのにこの事を私はハハオヤに言って
助けてもらうことができなかった。
すでにその頃、虐待が始まっており、ハハオヤは私の味方でも保護者でもなく
何かあればそれは私のせいで、叱られるのは私の方だという調教が完了していたんだ。
私はほとんど30歳に近くなった時に、黙っているのをやめて、この事を訴えた。
「紀彦(仮名・としひこと読む)ちゃんにこんな事をされたんだ!」
そしたらハハオヤは、なんて言ったか?
「あんたそれを岡崎(仮名)のおばちゃん(母の姉、猥褻行為に及んだ奴の母親)に言ったらだめ! 言ったらおばちゃん、自殺するよ!」
私はこんな精神構造の母親のいる家庭で、なんとか心の平衡を取り戻そう、本来の自分に自力で戻ろうと、一人の味方もなく頑張って頑張って頑張って生きていた。
因みに、言ったら最後自殺するとハハオヤが言った猥褻な従兄の親である叔母にその後息子の淫行を訴えた。自殺?とんでもない。「じゃあどうしろって言うのよ!」と言い放った。「悪かった」の一言もなかった。スゲー姉妹だな。