まこちゃんへ

まこちゃん

 いつも私の話を聞いてくれてありがとう。
 ここに書くのはすべて本当で私が実際に体験したことです。誰かに知っておいてほしい、証人になってほしい、そうしなければ本当の犠牲者、被害者だった私が悪者にされて終わります。それだけは耐えられません。どうかお読みください。

 私が虐待にあっていたことはいつも話している通りです。物心ついた頃にはもう虐待が始まっていました。「全ては自分のせいだと思え、周りで何か悪いことが起きたらとにかく自分のせいだと思え」と言われ続けました。
 小学校1年生の時、ボールをぶつけられたら「ぶつけた子が、私のせいで罪悪感を抱いてしまう」と慌ててその場から走り去りました。
 そのもっと前、3歳の時に交通事故に遭いました、気がついたら病院にいて、医者に木槌で膝を叩かれ「痛いか痛くないか」と訊かれました。私は「痛くない」と言った後(叩かれていると言う事は痛いと言わなくてはいけないと言うことか)と思い「痛い」と言い直しました。「どっちなんだ」と医者が怒ったように言いましたが、自分自身がどうなのかよくわかりませんでした。
 小学2年生頃には自分の本当の感情や欲求がなんなのかわからなくなっていました。
 この事を後年友達に話して「それは虐待だ」と言われました。その時まで考えてもいませんでした。あの家庭で生きるために、出来るだけ何も感じないようにしていましたから。

 母親による身体的な暴力は勿論、心理的な追い詰めは異常でした。それで小学生の時分からノイローゼでした。一人で畳の上で「わかって、お願い、信じて」と、のたうちまわりながら髪をかきむしりながらうめいていました。勿論誰もいないところでです。母親に見つかったら何をされるかわからないから。
 きょうだいさえその事は知りません。だからT..もY..も、私が虐待で発狂したのではなくて、わがままで自分勝手な悪い人間だから母親に猛烈に楯突いたと思っています。だから私を責めています。 
 そうじゃない、私はきょうだいの誰もされたことがない猛烈な虐待を日常的に受けていただけだ。
 妹弟が「私が母親から虐待を受けていた事」を知らなかったと気づいたのは家を飛び出して7年経ってからです。
 ある日ふと、思い出しました。いつも私ばかり厳しく叱られる、どうして妹弟にはそうしないのかと抗議するといつも、母親が「いつも誰も見ていないところで厳しくしている」と言うったのを。「あれは、私への虐待のことだ。母親はをいつも誰もいないところでやっていたんだ」と気づきました。

 私は耳が真紫になるほど強く殴られ、一挙手一投足も監視され、服装もいつも「みすぼらしい」ので同級生の間で話題になっていました。「あの子って学校が休みの日まで、あんな服装してるの?」とわざと聞こえるように言われたことを憶えています。

 まだ小学生の時、おばさん2人と母親と一緒に街を歩いていました。
 突然母親が憮然として私に「止まりなさい」と言い、路上で私の比較的新しいサンダルを脱がせ、母親の古いサンダルと交換させられました。私は、ブカブカのサンダルを引っかけて、母親達に従って歩き続けました。小学生だった私のサンダルは体の大きい母親にはきつかったはずです。あれは一体なんだったんでしょうか。おばさんたちもそんな母親を止めてもくれませんでした。私は呆然として無表情のまま歩き続けました。

 プールに行った時も、何も囲いのない、周りに人のいるところで水着から服に着替えさせられました。「ほら、早く着替えなさい、どうせあんたの着替えるとこなんか誰も見てないんだから」と言われながら。周りで見ている人も誰も母親を制止してくれませんでした。
 私はたった一人でタオルと服で自分の体を隠しながら頑張って着替えました。まだ小学生だったけど歯を食いしばって頑張った、頑張って頑張って頑張って頑張った。妹にもバカにされるような子供だったけどそれでも私はたった一人で歯をくいしばって頑張った。ほんとうにほんとうに頑張った。

 ずっとあの家で、私だけが、T..もY..も生涯経験することのない猛烈な虐待を受けていました。T..もY..も学校で厳しく禁じられているものさえ与えられていた一方で私は学校で必要なものも家で禁じられたり取り上げられたりしていた。
 当たり前の感情表現を禁じられても、なんとか正常に戻ろうとする感情の弾力で、時には猛烈に感情を爆発させました。それを見てか、影で行われている虐待を知らないT..もY..も私を憎むようになり、母親はますます、かわいそうなお母さんとして同情を集め、その対比でますます私は狂って行きました。

 母親に折檻、監視されているため常にビクビクしていたので学校でもイジメのターゲットになりました。
 母親が私の味方をしてくれないのはわかっていましたが、非常に恐ろしい目に遭っていたので「実は、学校で集団イジメに遭っている」と思い切って母親に打ち明けたところ「いじめられるような事をしたんだな、なんて悪い子だ」と突き放されました。イジメる相手に感謝しろとまで言われました。その時から家の外で起きた事を一切母親に話さないことに決めました。まだ13歳でした。

 教師に両足首を掴まれ廊下を引き摺られても、ただお菓子を買いに行っただけなのに「酒を買いに行った」と嘘を広められ学校で孤立しても、一人で歯を食いしばって頑張りました。どんな不当な目に遭っても母親に相談できないから、言えばズタズタに傷つけられるから、自分一人で歯を食いしばって、私は頑張った。

 この家にこれ以上いては気が狂うと、必死で勉強して進学したのに、彼らからすればそれも私のわがままです、命をかけて勉強したのに。虐待から逃れるために必死だったのに。それだけなのに。頑張って頑張って頑張って勉強したのに。

 虐待は日常だったので細々とした事は山ほどあります。上にあげた事は何百とある出来事のほんの一端です。これから事実を共有してもらうためにも少しずつ書きます。そうでなければ私は悔やんでも悔やみ切れません。死んでも死に切れません。

 母親の虐待で精神錯乱状態になった私は人生で大切な、生きて行くために色んなことを学ぶ時期を、まこちゃんが「憧れている」と言っていたあの母親にぐちゃぐちゃにされました。私がそんな目に遭っていた事は、誰も知らない。

 私はつい2、3年前まで、私の精神異常は偏に母親の虐待のせいだと思っていましたが、ある時薬害の本を読んで初めて、向精神薬が脳に長期に渡って修復不可能なほどの悪影響をもたらすと知りました。

 でもすごいのは、普通は向精神薬によって起こる異常行動が、私の場合、母親の虐待だけで起きていた事です。私は「ひどい娘に苦しむ母親として同情されたい」母親に、全部で5箇所の病院・クリニックに連れていかれました。凄いのはその全部で判で押したように異口同音に先生たちから「あのお母さんでは、あなたがそうなるのも無理はない」と言われたことです。それだけ母親の虐待は凄まじかった。なのに私の人生が強烈な悲しみの蓄積だったことを、家族さえも、誰も知らない。誰も知らない。誰も知らない。
 
 記録を残すために、私に着せられた罪を晴らすために、少しずつ書いて行きます。この事をできるだけ他の人にも話してください。親戚でもT..にもY..にも。

 読んでくださってありがとう。もしまこちゃんが理解してくださらないなら他を当たります。
 ただどうか「親のことをそんな風に言うものではない」とだけは仰らないでください。それは私に対する魂の殺人です。想像を絶する体験をしてきた私のことをどうかほんの少しでも想像して見てください。お母さんはあなたのことが可愛くてやったというなら、気が狂うまで厳しくしたりしますか。親は何をやっても許されていいのですか。親のことをそんな風にいうものではない、と言いたいなら、私と同じことを、せめて上に書いたことだけでも経験してみてください。
 本当に、私の人生に起きたのと同じことを経験して見てください。たった一人で耐え抜いて見てください、それから言ってください。

それでは、どうぞお元気で。