音楽 こどもの頃 原動力 

いつもこどもの頃の事を思い出す。

その頃の体験が私の一生を支える宝になった。

いつもあの頃の自分に近づく事を目標に生きている。

小学4年生で音楽が好きになり楽器が好きになった。

楽器が好きになったのは、

テレビやラジオで聴いた曲の感動を

再現したかったからだった。

厳しかった家で自分の好きな事をさせてもらえなかった私が

楽器を弾く時だけ現れる心の中の広大な世界を

なんとか強固なものにしようとしていた。

 

子供が自由を得る事が、癪に障ってしようがない母親が

その内私から音楽をも取り上げたが

身近い数年の間の内的体験が私をずっと支えてきた。

あの時の感動を得られる自分に戻ろう、あの感動があれば

他の事はもうどうでもいい、それくらい大きかった感動と

その前提にある感覚をなんとしてでも取り戻そう、

それが私の原動力だった。

重症から軽度に

被虐待児はみんなそうかも知れないけど、重症の「どうせ私なんか」病だった。

ある時までは自分から大きなチャンスに対してドアをピシャッと閉めてしまっていた。

振り返って、あの時もこの時も、自分から不幸になって行こうとしていたと気が付いて

もうそんなことは二度としない、そう決めた。

同調を求められているモノについて

勤務先でも、職域でのあれ、受付が始まってしまいました。

 

あの後に、後遺症で大変苦しんだ人がいます。

 

黙って見ているのは耐えられない、

知っているのに黙っていることは出来ないから

拒否反応は予想できたから、遠回しに

チェックしてほしいwebsiteをおしえたり、

こんな人たちがこんな訴訟を起こしたよね

と言っています。

 

十分気を遣い、怒らせないように、

自分を守る方向に進んでもらえるように

伝えています。

 

それでも、私からすればかなりの高学歴、

言い方古いけど、昔の国立一期校、旧帝に並ぶ学校出身の人にも

耳では聞いてもらえても、理解はしてもらえなかった。

 

時間が経ってからでも気付いてくれるといい。

 

救いは、すんなり受け入れてくれる人が2人ほどいたことです。

 

今回の騒動で

これまで生きてきた姿勢が炙り出されているように感じる。

 

健康は人任せ、薬害も他人事、自分の知らないことを知らないと言えない、

いそいそとワクチン接種に赴き、その「几帳面さ」をアピールする人に

危険を知らせても、聞いてもらえなかった。

 

そしてアレを全身で拒否している私は、

病原菌のような目で見られる(思い過ごしかもしれないけど)。

 

地域のゴミ処理や騒音問題とは桁違いに生命に直結していることを

危機感をもって訴えているのに。

もどかしい。

悔しい。

 

傷ついた子に和解画策するか?

芸能人が、子供の悩み相談に答えるコラムがあった。

回答の内容は、友人関係で傷ついた子に「和解を勧める」ものだった。

 

虐待を受けた人が親との関係からのトラウマでセラピーを受けている時に

和解を画策するようなことは、非常に相談者を傷つける。

最もいいのは「あなたの自由に思い、行動しなさい」という言葉じゃないだろうか。

 

その自由を許されない、自分自身にも許さないことで苦しむんだから。

 

良い子の勧めは、魂を傷つける。

無思慮なアドバイスを仕方なく受け入れた時から思考停止が始まる。

そして出来るだけ何も感じないようになる。

こうやって、馬鹿な大人が出来ていく。

イジメ

大人気ない、いやなイジメに遭った時

いつも『この人を見よ』の中の

 

私は酸っぱい話に加わりたくないので

糖蜜入りの壺を差し出すのだ

 

この言葉を思い出して、取り合わないようにしています。

 

作業机兼食卓の前にずっと座り続けることがあり

ふと「昇降式スタンディングデスクを買おうか」と思い

あれこれ検索し、どのタイプがいいか絞り込み

もっと絞り込めたら絶対買おうとまで思った翌日

「やっぱり椅子に座ってる方が落ち着くし、10分に一回でも

立ち上がって体動かせばいい」と気が変わり

このままで行くことにした。

実際にあった話

ある人が、自分の意思でなく、心療内科に連れていかれました。

連れていったのは、常に誰かの同情を受け可哀想な自分を維持したい母親。

連れていかれたのは、その母親のターゲットになった実子。

 

母親は自分の虐待で神経がオカシクなった実子を自分の手で医者の元に引っ張っていきました。

成人間近で自立したい気持ちの強かった実子を、これでまたしばらくの間手元に置いておける。母親はそう算段しました。

 

小さい頃から、家庭内でいつ母親の猛烈な怒りに襲われるかわからない極度の緊張を抱えてきた実子は、もともと情緒は不安定でした。

診察対象である子よりもしゃしゃり出て喋り捲る母親。

診察が終わり、その日から向精神薬の処方が始まりました。

 

その日から10年に渡り、大量の処方薬を服薬することになるのですが

その前には出来ていたこと(集中して一事に打ち込む、休まずに通う、計画を立て遂行し望んでいたことを成し遂げる、など)ができなくなりました。

体力的な問題だけでなく、奇行や妄想が始まりました。

 

一生自分を生かしていく大切な技術や知恵を身につけるべき10代20代を

半狂人として過ごさなくてはいけなくなりました。

 

母親に嵌められたと認識はできませんでした。

何と言っても薬でやられてしまっているから。

 

母親にとってはうまうまです。

可哀想な母親として、福祉団体で大活躍できたし

子供の手綱は握って離さないし

離さなくったって誰からも咎められないし、とうの子供からだって。

 

 

 

 

処方薬を飲み始めたきっかけは人それぞれだと思いますが

その前は出来ていたのに、服用開始をきっかけに出来なくなってしまったこと

その前はなかったけど服用してから絶えない不調などないでしょうか。

 

気づきましょう。

また調べましょう。

失って取り戻せない時間がある、と気づくのは苦しい。

だけど産みの苦しみは、自分自身の人生を新たに始めるにはつきものです。

大きい一歩ほど恐怖が伴う。

怖くなったら、それだけ大きな変化が起きようとしてるんだ、と

思い切って飛び込んでみてください。

飛び込むというのは、薬害について調べ、

全面的に自分の見方をしてくれる本や療法家や医師を探し

普段から今よりも少しでも健康になることを試す

健康にならないことをやめる、そういう生活にシフトしていくことです。

 

他でもないあなた自身の人生です。親や世間から、取り戻しましょう。

正当で健康な行いです。

 

これを知っているだけで、ちょっと楽になれる

マーサ・ベックという人の本の中に

自然に四季がある様に人生にもサイクルがあり

何をやってもうまくいかない時期を乗り越えれば

穏やかな春が来る、人生にも組織にも言えること、と書かれていました。

占いには懐疑的、というか占いはまったく見ない私ですが

このサイクルに関しては、振り返って、頷ける点があります。

「今は冬に当たる時期なんだ。これが永遠に続くわけじゃない」

と知っているだけでだいぶ精神的に楽になれると思います。

 

今つらくても、のちに振り返って

あの時なぜ苦しんでいたんだ

って思える時が来る。今の苦しみがずっと続くわけじゃない、

それを知ってください。

それと、自分をいじめない様に食べ物はできるだけ未加工のものを選んでください。

消化のつらさが精神のつらさに繋がることがあります。

ご自分がつらくならない様にまずは食べ物から自棄の状態を脱してください。

気分への影響は案外大きいものです。

 

今居る所で、安全と温かさを感じる様に体を整えて

その安心感を心にまで波及させてください。

 

今日はこの辺で。

では。

 

単純なこと

すごく単純なこと。優しくされたことがない人間が、虐待する。虐待のどこが悪いのかわからないから止める人の言うことも理解しようとせず頑なに突っぱねる。そうして被害者が生まれる。被虐待児が精神疾患を負う。周囲に理解ある人がいない場合は医療機関に被虐待児は助けを求める。心ある医師、でなければ薬漬けにする。自分で調べる習慣がない人、疑わない人、異議申立てしない人は、漬けられたら漬けられっぱなしになる。

大元凶は、親が子に優しくしないこと。

どっちが先か  症状vs服薬

SNS上で、精神疾患のつらさ、服薬や通院、診断について述べられている方は

精神科受診の前の状態を思い出してみて。

 

処方薬の服薬が始まってからの方がつらくはありませんか?

前の方が仕事も休まずに行けていたとか

寝つきもよかったとか

不安になるとしても時間の経過とともに解消されていたとか。

 

ちょっと思い出してみて。

 

思ったこと

お医者さんであるにも関わらず、

薬はのまなくていいよとおっしゃってくださった先生にはいくら感謝しても仕切れない。

 

今は情報をいくらでも取りにいける。

それを家で寝転がってたって、見ることがでる。

なのになぜ、自分の体を自ら傷つけに行く人が減らないのでしょうか。

 

youtu.be

 
 

Oh my God, I was lying down and thinking vaguely.

 

回復するために

「教育・しつけ」という調教によって

自分の本当の気持ちがわからなくなったら

その枷を外すには、

選択の基準を「抑圧と解放、どちらを感じるか」にする。

モグラ叩きのモグラみたいにされて、

いちいち自分の本心とは反対のことを強いられて育っても

かすかに「どちらを感じるか」の感覚は残っている。

自分で確認できない時は、時間はかかっても

自らに問い続けてら心の弾力は戻ってくる。

 

そうやって少しずつでも自由になっていけばいい。

 

 
 

Pressure

名詞: pressure, oppression, coercion

知識だけで回避できる苦しみもある

傍目から成功と思われる状態になっても、本当の自分ではない何かになったのなら居心地悪さがつきまとう。

自分を統合したい、全一性を保ちたいという欲求に素直になって、なんとしてでも統合状態を保とう、そう居られないのは我慢がならない、そこまでの弾力を感情が取り戻せたら、本当の自分への回復が早まる。

 

過去に虐待にあって、感情面の回復にばかり気を取られていましたが

自分の体を傷つけないように気をつけることがどれだけ大事かも回復の過程で知りました。

気鬱になるのは本当につらい、せっかく気の持ちよう、考え方でなんとか上向いても、パックされたコンビニで売られてる菓子パンで、また気鬱になるのは耐えられない。

どんなに食べたいと思ってもその後の気鬱を思うと我慢ができる。少しずつ体調が整ってくると自分でコントロールする楽しみを覚えて少しずつ健康になっていく。

つらそうな人を見ると「気持ち」も大事だけど、知識で健康を保てるとも知ってほしいと思う。知るだけで苦しみを回避できる、自分でコントロールできることも知ってほしい。薬害のことも。

 

 

参考図書:

Toxic Psychiatry

The Way of Integrity: Finding the path to your true self